スリランカの歴史
民族の形成と対立 6世紀頃古代インド語であるパーリ語でかかれた叙事詩「大王統史」(マハーワンサ)によると、ランカー島(スリランカ)にはかつて夜叉族、竜族などの先住民が住んでいたとされる。釈尊仏陀が3度この島を訪れ、島を浄化したのち、仏陀入滅年(前483年)にインドよりウィジャヤ王子が700人の家来と共に渡来した。ウィジャヤは夜叉族の女王クウェーニとの間に子供をもうけ、その一方で王位につくため南インドより妃を迎えた。そのため三角関係が成立し、王妃の側からシンハラ民族の系譜がはじまり、クウェーニ側からブリンダー族(先住民族のヴェッダ族の祖先。現存する)が生まれたといわれる。ウィジャヤ王はシンハラ人の王朝を開き、前380年頃、アヌラダプラに最初の都をおいた。シンハラ王朝は最後の王朝であるキャンディ ![]() 長く続いた植民地時代 16世紀始め、スリランカに最初に渡来したヨーロッパ人はポルトガル人だった。その頃スリランカはコッテ王国(現在のコロンボ近郊)、キャンディ王国、タミール人によるジャフナ王国の3王国に分裂していた。ポルトガルはコッテ王国との間に条約を結び、シナモン貿易の許可を得て、現在のコロンボを拠点に ![]() 1796年にはオランダに代わって、イギリスが進出、直轄植民地とした。1815年にはシンハラ王朝最後となったキャンディ王朝を破り、ついに全島を支配するに至った。近代的な議会制度、近代医療、英語教育、紅茶やヤシのプランテーションは英国時代に発達したものだ。植民地時代、この国はセイロンと呼ばれていた。 独立後のスリランカ 1948年、平和的な話し合いによってスリランカはイギリス連邦内の自治国となり、1972年5月22日第3次左派連合のバンダラナイケ政権は新憲法を制定して完全に独立を果たした。そして旧名セイロンからスリランカ共和国に改めた。現在スリランカは社会民主主義国家であり、大統領はバンダラナイケ初代大統領の娘である。 |