アーユーボーワン、ティラカです。

スリランカのテレビ普及率は50%、ラジオはほぼ100%です。テレビでは外国のドラマも放映されます。特に日本のドラマ、NHKの「おしん」はスリランカでも大人気でした。
人々はとても感激した為、吹き替えをして二度目が放映されたほどです。2月にティラカは北海道のお得意先にご挨拶に行きました。70歳のその社長はとても温厚な人で、話をしているうちにスリランカにあるティラカの幼稚園の話になってしまい、その社長が「あんたはなんていいことをしている子なんだ、今すぐ里親になるよ。」と言ってくださったのでびっくりしました。
おだやかに、昔を懐かしむような思い出話を聞いて、ティラカは社長がなぜ里親になってくれるのかがわかりました。
58年前の日本はまだ戦争中でした。両親を続けて失った13歳の社長は兄弟とも離れ離れになって行くところもなく、青森駅で途方にくれていました。空腹でポケットのありったけのお金を握りしめ、ある一軒の食堂に入りました。
食堂のご夫婦は子供が一人で丼ごはんを食べる姿に声をかけて話を聞き、「かわいそうになぁ、大変だったなぁ。今日からここに住まないかい、学校にも行かせるよ。」そう言ってくれたのです。一人息子を特攻隊にとられ、悲しみでいっぱいだった二人は「息子と思って育てたい。」と息子さんの部屋に案内してくれたのでした。
そのご夫婦に大事にしてもらい、学校も卒業し、ようやく働いてご恩返しができるようになった時には二人はもう亡くなっていました。社長は社会にご恩返しすることでご夫婦への感謝の心を忘れないようにしてきました。
私達が訪問したその会社は知的障害のある人々を従業員に採用し、ケガをしないように仕事の道具も工夫して、生産工場とされていました。自分の子供には社会に役立つ人間になるよう言い聞かせて育てたそうです。その息子さんは学校の先生になっているのですが辺境地ばかりを希望して札幌には戻らないそうです。
戦争中、自分たちが生きるだけでも精一杯の時にも、見知らぬ子供を見捨てず助けて育てるなど出来る事ではないと思うのです。でも、ティラカは社長のお話の中に「日本人の心の原点」を感じました。
スリランカにも毎年、日本のいろいろな職業の方々がボランティアとして来て下さり、奥地に道を作り、井戸を掘り、水道を引いてくださいます。不況でリストラ、倒産と日本経済が大変な時でも私たちの国を支援してくださることに心から感謝いたします。私も70歳の社長を見習って、日本の社会に役立つティラカになって日本の国にご恩返しをしたいと思います。

P.S 4月27日(土曜日) 日本経済新聞夕刊にスリランカ・日本の国交樹立50周年記念スリランカ特集が掲載されます。読んでくださいね。

今日の一言シンハラ語は
日本語 お母さんにお願いしました
シンハラ語 ママ アンマータ インリーマ カラー
英語 I requested my mother.

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